ずっとデスクワークに追われ、時間にせっつかれて日々を送っていると、人としての感覚が麻痺したように思えてくる。
そして今日、朝から家族(お姑さんをのぞく)で自転車で近所を走り、(うちの周りはアップダウンが激しく、けっこうな運動になる)
前から気になっていた、家の下(坂道のてっぺんに我が家がある)の広〜い土地の草むしりをして、汗を流した。
(もう、2年くらいほったらかしで秋には私の背よりも高い草で覆われる)
そこはおいおい紹介するが(お姑さんから自由に使っていいと言われ、ハーブ園にするつもり)
そ〜んな健康てきなことをすると、脳もまた活動をはじめ、人間の感情も蘇ってきた。
私はずっと母から「お前は駄目な子だ。」と言われ、(実際何事も人より数倍劣っていたのだが)私は駄目人間だと思っていた。
一時期はそんな自分が嫌で、死にたいと思ったことも、何度もある。
でも、そう思いながらもその苦しみから逃れるたび、『生』への執着が強くなってくる。
また、初めて人に褒めてもらったのが、小学校6年の時の文芸クラブの先生だった。
「駄目だ」しか言われたことのない私にとっては、一生忘れられない感動の瞬間だ。
そして、初めて褒めてもらったのが『詩』だったから、私は詩を書くことに執着し、詩を書くことにより、物事を客観的に見たり、いろんなことにチャレンジするようになった。
もしも、何もかもうまくこなせる人間だったら、私は詩を書いてなかったかもしれない。
また、一時旦那が、男の更年期障害のような症状があり、ほとんど仕事ができなくなった時、私の負担がどっと増え、私の精神もギリギリの崖っぷちに追い込まれ、些細なことにすぐキレたり、子供に当たっていたりしたことがある。
その時、逃げ出すように山に登り、何かにすがるように登り続け、
泣くことすら許されない状況に陥った時、初めて、『苦しみを乗り越えたときこそ、真のやさしさに近づけるんだ。』と悟った。
人は、誰かにやさしくされた時より、究極の苦しみや傷つけられ、それを乗り越えられた時に、生きる強さ、心の強さを身につけるのかもしれない。
だから、いつか本心で、「あの時つきはなしてくれてありがとう」と相手に言えた時、その人は強く生きる力を持てるのではないだろうか。
先日、あるドラマで、「最近の子は褒められなれているから、少し文句をいうと、すぐカッとなる。」という台詞に妙に納得させられてしまった。
私も自分が褒めてもらわなかった分、子供は褒めて褒めてほめまくっているが、少し反省させられる一言だった。
逆境は、心を強くする薬だとしても、褒められまくった、ぬるま湯のような生き方をした人には、毒薬にかわることもある。
できるなら、私も子供も逆境をバネにする強さを持ちたいものだ。