友の死
 
 高校時代に出会った友人で、いつも私の親友と仲良くしてる人がいた。
私は親友を取られそうな気がしたので、必死で後をくっついていた。
そのうち、彼女の境遇がとてもかわそうなことが判った。
彼女は『てんかん』の病気をもち、お母さんは早くに亡くなり、お父さんは再婚するが、義理の兄弟や義母との折り合いがあわず、16歳で一人暮らしを強いられていた。

 折しも、親友もお母さんと二人暮らしだが、お母さんは出張が多く、留守になりがちなので、二人は同居生活をすることとなった。
当然、私はその家に入り浸りになり、気が付くと、もつれにもつれた三角関係や、いろんな相談役になってしまった。

 そうこうするうち、親友は16歳で結婚するため、高校を中退。もう一人の友人も、あまり身体が丈夫じゃない為、中退し、とうとう、二人の友人は私一人となってしまった。が、それぞれが別々の方向を歩きはじめてので、いつしか連絡も途絶えてしまった。
そして私はごくごく普通の高校生活を満喫し、とある大きな病院の受付嬢として採用され、社会生活になれるよう必死に日々を過ごしていた。

 そんなある日、友人からひょっこり連絡があり、私の勤めている病院の近くのアパートに住んでいるという。私はなつかしさといろんな想いで彼女に会いに行った。

 彼女はこじんまりとしたアパートで、男の子(1歳ぐらい)と旦那の3人で暮らしていた。私はまたまたその家に入りびたり、仕事の愚痴や家族の愚痴を彼女はいつも親身に聞いてくれた。
時には夕飯をごちそうしてくれたり、とてもやさしかった。

 ところがある日、彼女は私の勤めている病院で二人めを出産し、その入院費を踏み倒して逃てしまった。
私は裏切られたような気分でいたたまれなかった。もちろん、上司の人は私を責めることはなかったが、「もう、つきあわないほうがいい」と言われ、私もそのつもりだった。だから、ある人から、「あの子、○○病院に入院してるって。」と言われても、お見舞いに行く気になれず、(来て欲しかったら本人から連絡あるだろう)ぐらいに思って無視していた。

 それから数日後、彼女のお父さんから、「危篤なのであってほしい」と連絡をうけた。なんでも、子供を自転車で保育園に送り届けて帰る途中、てんかんの発作がおきて、倒れ、頭を打ったらしい。だから、連絡などできるはずがなかったのだ。私は頭が真っ白になりながら、なんとか病院にかけつけた。彼女はあらゆる管と機械に囲まれて静かに横たわっていた。
私はテレビドラマの様に何か声をかけてあげることもできず、ただただ、呆然と立ち尽くしていた。

 ふとそこへ、おばさんらしき人が入って来て、彼女にいろいろ話しかけていた。よく覚えてないが、「ほんとうに不幸な子だった」とか、「かわいそうに」を何度も言ってたような・・・。そして、「あら、この子、泣いてるわ。」と言って涙を拭った仕草を見た途端、私のなかの何かがぷっつり切れて、涙が怒濤のように襲って来た。

 以前、何かの本で、人は死んだあと身内や会いたい人がそばに来ると、涙を流したり、血がふきでる。というようなことを読んだ。
それが私かどうかは判らないが、どうしてもっと早く駆け付けてあげられなかったのかという後悔と、彼女がもういない寂しさと、どんなにあやまっても許してもらえない事実が、心のなかで渦になり、涙は止まることを知らずに流れ続けた。

 あれから19年。彼女は今でも私の中で、生きています。子育てに苦しんだ時、いつも彼女に話しかけている自分がいます。
一時は、幽霊でもいいから会って謝りたいと思いましたが、今は、静かに時を見つめ、あの頃の自分を抱きしめてあげれるようになったと思います。そして、彼女との出会いこそが、私に人とのつきあい方を教えてくれ、強く前を見つめる力を与えてくれたと信じてます。

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